労災・過労死の補償と予防に向けて

すべて国民は、個人として尊重される(憲法13条)。人間として健康に生存する権利は、憲法が保障した「個人の尊厳」の最たるものであり、誰もが享有し、誰からも侵されない、根源的な基本的人権です。

労働者にとって、生命、健康な身体がなければ、労働することも生活することもできません。ところが、いまや「KAROSHI」が国際的に通用する用語となっていることに象徴されるように、日本の社会は、世界に例を見ないほど、恒常的に過労死という病理現象を生み出しています。
日本が資本主義社会に到達してから長時間労働が解消されたときはないと言っても過言ではありません。近年の政府の統計上は労働時間が短縮していますが、賃金不払残業は統計に表れませんので、日本は諸外国に比べて労働時間が長いのが現状です。
労働者は仕事場で「企業戦士」となって長時間労働をし、ついには「戦死」しています。家族は仕事に迷惑がかからないように家庭で心配しているしかありません。1日8時間、週40時間という労働時間の上限が法律で定められた原則ですが、現実には「絵に描いた餅」になり、長時間労働等の過重労働が日常化しています。
また、長時間労働もさることながら、「努力-報酬不均衡」と「職場の人間関係の悪化」がストレスフルな職場を作り出しているように思われます。不況によるリストラや成果主義賃金制度の導入などによって周囲のサポート態勢がなくなり、裁量労働制や賃金不払残業などにより自己の働きに見合った収入を得られていないという現状が見受けられます。


そして、組織的でありながらも、個人の合理性や効率性が要求されるアメリカ文明の商業社会のグローバル化が、集団で労働集約型の水田耕作を営み、勤勉が美徳された「農本社会」に生きてきた日本人にとって、必然的に大きな精神的ストレスを生み出しているのでしょう。
このような状況のなかで働く人びとの体に疲労とストレスが蓄積されて健康破壊が蔓延し、またメンタルヘルス不全に陥り、ついには過労死という頂点に達しているのです。


しかし、労災保険や企業責任によって過労死をした被災労働者やその遺家族が安心して今後の生活を営めるよう、迅速に補償がなされないばかりか、過重労働やハラスメントを防止する対策が立ち遅れています。


そこで、被災者やその遺家族が労災の補償を求めていくことが重要です。


これに加え、「家族がそろって夕食を食べる」という自由を獲得することも必要です。この自由が保障されていない生活は、はたして人間らしい生活といえるのでしょうか。「仕方がない」とあきらめていては、当たり前の生活が奪われたままとなってしまいます。

働く人びとが残業をせずに家族と夕食をともにし、残業しなくても健康で文化的な生活ができる程度の賃金を得て、文化的な暮らしができる社会。労災によって人間が誰しも持っている「健康に生活し、生命を全うする」という権利が奪われないようにする社会をつくることが求められています。

憲法は、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保障しなければならない」(12条)と説いています。その意味で、労働者が労災の補償と予防に積極的な役割を果たすことを期待するものです。

他方、企業においても、法令や裁判例の傾向から過労死の予測可能性を見いだし、労災補償や安全衛生措置を講じることが必要です。
むしろ労使が労働安全衛生に関して協力をしなければ、労働者の身体や健康を保護することはできないと考えられます。

 

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